能面in喫茶(能面と解説)
京都三条通りにある緑茶カフェ「茶乃逢」にて1年間にわたり月一回実施いたしましたミニ展示の能面作品と、能面師・樋口玄正による作品にまつわるエピソードを紹介しています。
第1回
第2回
あま茶でカッポレ!4月8日はお釈迦様の誕生日。能「大会(だいえ)」では釈迦が登場します。
貴船神社の庵室で読経をしている僧の元へ山伏(天狗)が現れ、命を助けてもらったお礼に、僧の望みを叶えるという。僧は、霊鷲山で釈迦が説法する姿を所望する。
貴船神社の庵室で読経をしている僧の元へ山伏(天狗)が現れ、命を助けてもらったお礼に、僧の望みを叶えるという。僧は、霊鷲山で釈迦が説法する姿を所望する。
合掌しない約束で、天狗が釈迦に化けて現れる。しかし有難い姿に思わず僧は手を合わせてしまう。すると天神の面を掛けた帝釈天が現れて、偽の天狗を懲らしめると言うのが「大会」のあらすじです。
釈迦のマスクは癋見(天狗)の上に掛けるため、能面では最大級です。
釈迦のマスクは癋見(天狗)の上に掛けるため、能面では最大級です。
第3回
第4回
豊臣秀吉は「猿楽の能」が大好きで、能面のコレクターでもありました。中でも、女面の上手と言われた石川龍右衛門の「雪月花の小面」を愛玩していたことは、有名な話です。
しかし、その3つの小面を秀吉は、金春家、徳川家康、金剛家に分け与えています。現存するのは三井家の花の小面と今の金剛家の雪の小面?です。
しかし、その3つの小面を秀吉は、金春家、徳川家康、金剛家に分け与えています。現存するのは三井家の花の小面と今の金剛家の雪の小面?です。
今回は、浅井三姉妹をイメージして、「雪月花の小面」を創作してみました。
「雪」は純真可憐な末娘「お江」
「月」はさわやかで理知的な「お初」
「花」は女性としての華やかな魅力を持つ「茶々」
「雪」は純真可憐な末娘「お江」
「月」はさわやかで理知的な「お初」
「花」は女性としての華やかな魅力を持つ「茶々」
第5回
「乙」は女性の狂言面の代表格。オデコが出て、目と丸い鼻と口が中央にへこんで集合し、その周りをふくよかなホッペタが取り囲む。ユーモラスな表情ですが、醜くはない。愛くるしさの中にどこか美形が漂っています。
第6回
平太は源氏などの武者として使用される面。
能「八島」では、後シテの源義経の霊として登場する。赤ら顔で、勇ましい髭を蓄え、少し粗野で、いかにも坂東武者の風貌を呈している。平家の公達に用いられる中将の面とは対照的である。
弓流しのこと、悪七兵衛景清と三尾の屋の錏引きのこと、佐藤継信が能登守教経の矢先に斃れしことなど、八島の激戦の様を語り、夜明けて義経の霊は消えうせる。
能「八島」では、後シテの源義経の霊として登場する。赤ら顔で、勇ましい髭を蓄え、少し粗野で、いかにも坂東武者の風貌を呈している。平家の公達に用いられる中将の面とは対照的である。
弓流しのこと、悪七兵衛景清と三尾の屋の錏引きのこと、佐藤継信が能登守教経の矢先に斃れしことなど、八島の激戦の様を語り、夜明けて義経の霊は消えうせる。
第7回
黒髭は雨をもたらす龍神の面として使用され、演目としては「竹生島」や「春日竜神」など。
上口から頬へ延びる黒々とした口髭が特徴で黒髭と呼ばれる。この作品のように金泥を施したものは、泥黒髭と名付けられることもある。
「ひげ」と言う漢字には、「髭」「鬚」「髯」とあるが、主に「髭」は(くちひげ)に、「鬚」は(あごひげ)に、また「髯」と言う漢字は(ほおひげ)にあてられる。
上口から頬へ延びる黒々とした口髭が特徴で黒髭と呼ばれる。この作品のように金泥を施したものは、泥黒髭と名付けられることもある。
「ひげ」と言う漢字には、「髭」「鬚」「髯」とあるが、主に「髭」は(くちひげ)に、「鬚」は(あごひげ)に、また「髯」と言う漢字は(ほおひげ)にあてられる。
第8回
朱の入った舞扇かざし、錦糸銀糸を織り込んだあでやかな衣装を身に纏い、若い女性が舞を舞う。この幽玄優美な世界は、能の中でも格別の品位が問われ、各流派の流儀がにじみ出る。
「小面」「若女」「節木増」「孫次郎」は流儀の面で、観世流では、若女がそれである。
知性的で、女性としてのしなやかさが漂う面で、本面は天下一河内(井関家第4代)が打った「悲しい若女」とされている。
「小面」「若女」「節木増」「孫次郎」は流儀の面で、観世流では、若女がそれである。
知性的で、女性としてのしなやかさが漂う面で、本面は天下一河内(井関家第4代)が打った「悲しい若女」とされている。
第9回
能「高砂」は世阿弥作の名曲。脇能の代表的な祝言曲である。
麗らかな春、阿蘇の宮の神主友成が都へ上る途中に高砂の浦に立ち寄る。そこで、相生の松のいわれや、その目出たさを、老翁(小牛尉)と姥から聞かされる。高砂の松は姥で、住江の末は老翁である。離れているが二人は夫婦で、千年の翠を湛えるありがたい松の精霊だという。そして、住吉で待つと言い残し、二人は渚の舟で沖へ出て行った。
麗らかな春、阿蘇の宮の神主友成が都へ上る途中に高砂の浦に立ち寄る。そこで、相生の松のいわれや、その目出たさを、老翁(小牛尉)と姥から聞かされる。高砂の松は姥で、住江の末は老翁である。離れているが二人は夫婦で、千年の翠を湛えるありがたい松の精霊だという。そして、住吉で待つと言い残し、二人は渚の舟で沖へ出て行った。
第10回
翁(白式尉)、父尉、黒色尉(三番叟)の切顎(きりあご)三面を並べました。
能が大成された室町時代より遥かに遡る奈良時代、神事として翁舞が春日大社や興福寺で演じられていました。猿楽の能が職業化される以前のことで、權守(ごんのかみ)という地元の有力者が、翁面を掛けて厳かに「天下泰平」「国家安泰」を祈念していました。
その当時、「咒師(すし)走りの翁」が12月にあり、「師走」の語源になったと考えられます。
能が大成された室町時代より遥かに遡る奈良時代、神事として翁舞が春日大社や興福寺で演じられていました。猿楽の能が職業化される以前のことで、權守(ごんのかみ)という地元の有力者が、翁面を掛けて厳かに「天下泰平」「国家安泰」を祈念していました。
その当時、「咒師(すし)走りの翁」が12月にあり、「師走」の語源になったと考えられます。
第11回
財団法人観世文庫所蔵の赤鬼と黒鬼を本面と同様に漆で制作し、写してみました。
一対で阿吽の形相をする赤鬼と黒鬼ですが、表情の特徴は、太く大きな眉毛が釣り上り、鬼の持つ角の代わりをしていること。真ちゅうで作られた大きな眼が入っているが、瞳が極めて小さく恐ろしげな表情をしていること。一般の能面では見ることが出来ないクリッとした丸い小鼻が何れの面にも付いていること。
一対で阿吽の形相をする赤鬼と黒鬼ですが、表情の特徴は、太く大きな眉毛が釣り上り、鬼の持つ角の代わりをしていること。真ちゅうで作られた大きな眼が入っているが、瞳が極めて小さく恐ろしげな表情をしていること。一般の能面では見ることが出来ないクリッとした丸い小鼻が何れの面にも付いていること。
第12回
六条御息所が生霊となって、病床の葵の上に憑いた姿がこの白般若。葵祭りの牛車争いで葵の上に恥辱を受け、源氏の心変わりで恋にも破れた女性の恨みと激しい怒り。
しかし、この白般若には、貴族としての気品と、恋い焦がれた男性への未練の表情が求められる。哀れな女の性、同情したくなります。
女性の怒りは、「生成り」「中成り」「本成り」と進むにつれて、角が大きく鋭くなって行きます。角が少し生えた「生成」に次いで、般若は「中成り」です。
女性の怒りは、「生成り」「中成り」「本成り」と進むにつれて、角が大きく鋭くなって行きます。角が少し生えた「生成」に次いで、般若は「中成り」です。
第13回(最終回)
醍醐帝の第四皇子蝉丸は、疱瘡に罹り盲目となった。それゆえに剃髪をされ、逢坂山に捨てられる。避けがたい運命、その運命に抗うことのない蝉丸には、琵琶が心の安寧であり、鼻筋から口元にかけて、何処か不幸を背負った悲しげな表情と中に、気品を感じさせるところがある。
能楽の蝉丸は、百人一首の年老いて薄汚れたような乞食とは少しイメージが異なり清貧さがある。姉の逆髪と琵琶の音によって邂合し、互いの身を案じながら、また別れて行く。
能楽の蝉丸は、百人一首の年老いて薄汚れたような乞食とは少しイメージが異なり清貧さがある。姉の逆髪と琵琶の音によって邂合し、互いの身を案じながら、また別れて行く。