能面師・樋口玄正の能面を月に一回、京都の街中、三条通りの「緑茶カフェ茶乃逢」で展示と解説をしております。

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能面ミニ展示「能面in喫茶」能面:蝉丸、慈童、大喝食、般若・白、般若・赤、蛇、赤鬼、黒鬼、不動、翁、父尉、黒色尉、小牛尉、姥、三日月、若女、節木増、孫次郎、黒髭、山姥、釣眼、平太、霊怪士、景清、乙、小猿、祖父、雪の小面、月の小面、花の面、孫次郎、深井、老女、小癋見、釈迦、天神、中将、翁・白色尉、黒色尉・三番叟 Noh mask exhibition at the coffee shop

能面と解説

京都三条通りにある緑茶カフェ「茶乃逢」にて1年間にわたり月一回実施いたしましたミニ展示の能面作品と、能面師・樋口玄正による作品にまつわるエピソードを紹介しています。
能面in喫茶の会場茶乃逢
第13回(最終回)
能面/能面/蝉丸(せみまる) Semimaru
能面/蝉丸(せみまる) Semimaru
醍醐帝の第四皇子蝉丸は、疱瘡に罹り盲目となった。それゆえに剃髪をされ、逢坂山に捨てられる。避けがたい運命、その運命に抗うことのない蝉丸には、琵琶が心の安寧であり、鼻筋から口元にかけて、何処か不幸を背負った悲しげな表情と中に、気品を感じさせるところがある。
能楽の蝉丸は、百人一首の年老いて薄汚れたような乞食とは少しイメージが異なり清貧さがある。姉の逆髪と琵琶の音によって邂合し、互いの身を案じながら、また別れて行く。
能面/慈童(じどう) Jidou
能面/慈童(じどう)  Jidou
ふさふさとした黒髪の鬘をいただき、煌びやかな衣装をまとい、菊の花園で遊楽遊舞する青年。七百年の時を経ても老いることのない菊慈童は、蝉丸とは対極的な存在である。帝の枕を跨いだために、河南の山奥へ送られるが、菊の花が咲き乱れ、その菊の葉、その香り、その露は不老不死の妙薬。柔和で気品を感じさせるその姿は、神仙そのものと化す。帝との関係、その扱い、送られた地の環境、身体的な事や長寿等、全てが蝉丸とは真逆である。
能面/大喝食(おおかっしき) Ookasshiki
能面/大喝食(おおかっしき) Ookasshiki
喝食は寺の下働きをする小童で、大喝食、中喝食、小喝食に分けられる。大喝食は、前髪が銀杏の葉のように大きく開き、やや面長で、瞼が平坦、口が大きく横に開き、凛々しさを感じさせる面である。口の両横のエクボは愛嬌であるが、前髪の窪みは面打ちの意図が理解しにくい。
本面は、三井記念美術館蔵(旧金剛家)の春若作と伝えられている。
今回は、若い男性の面を並べてみました。
第12回
能面/般若(はんにゃ)白 Hannya-white
能面/般若(はんにゃ)白 Hannya-white
六条御息所が生霊となって、病床の葵の上に憑いた姿がこの白般若。葵祭りの牛車争いで葵の上に恥辱を受け、源氏の心変わりで恋にも破れた女性の恨みと激しい怒り。 しかし、この白般若には、貴族としての気品と、恋い焦がれた男性への未練の表情が求められる。哀れな女の性、同情したくなります。
女性の怒りは、「生成り」「中成り」「本成り」と進むにつれて、角が大きく鋭くなって行きます。角が少し生えた「生成」に次いで、般若は「中成り」です。
能面/般若(はんにゃ)赤 Hannya-red
能面/般若(はんにゃ)赤  Hannya-red
道成寺に出てくる般若は商家の娘で、色合いは肌色がベース。裏切った男への怒りで、額が紅潮している様が、この赤般若。 大蛇になって日高川を渡り、大きく空いた口から火炎を吐き、相手を焼き殺す恐ろしい形相です。しかし白般若の陰湿さはそこにない。 乱れた髪、額のしまりなど、天下一河内の般若には面白いものが多く、この作品もその河内を写しています。般若の品位は、上から白般若、赤般若、黒般若(安達ケ原に使用)となります。
能面/蛇(じゃ) Jya
能面/蛇(じゃ) Jya
世阿弥の申楽談儀に「女面の上手」とうたわれた石川龍右衛門の「蛇」(三井記念美術館蔵)を、本作品は写しています。赤般若と同様、「道成寺」の専用面。怒り心頭、聞く耳を持たないのがこの蛇の姿。般若には耳があり、人の表情を留めているが、蛇は「本成り」、ここまで女性を怒らせるのは、男の責任も大きい。
白般若は20年前に制作し、蛇は10年前に制作し、赤般若は本年制作したもの。技量の進化は見られるが、まだまだこれからです。
第11回
能面/赤鬼(しゃっき) Syakki
能面/赤鬼(しゃっき) Syakki
財団法人観世文庫所蔵の赤鬼と黒鬼を本面と同様に漆で制作し、写してみました。
一対で阿吽の形相をする赤鬼と黒鬼ですが、表情の特徴は、太く大きな眉毛が釣り上り、鬼の持つ角の代わりをしていること。真ちゅうで作られた大きな眼が入っているが、瞳が極めて小さく恐ろしげな表情をしていること。一般の能面では見ることが出来ないクリッとした丸い小鼻が何れの面にも付いていること。
能面/黒鬼(こっき) Kokki
能面/黒鬼(こっき) Kokki
猿楽がかつて行っていた方堅め(結界鎮壇の呪術の儀礼)に使われていたのではないかと考えられている面。鬼にはよい鬼と悪い鬼があり、鬼瓦と同様に、この赤鬼と黒鬼は人間を悪霊や禍から守る役目をしてくれます。能面の「顰」などは「土蜘蛛」で悪い鬼として使用されます。
能面制作の技法として、深い味わいを出すために色を重ねて塗ることをよくしますが、赤と黒を交互に塗り重ねたこの面は、その原点として位置付けてよいと考えられます。
能面/不動(ふどう) Fudou
能面/不動(ふどう) Fudou
能面には釈迦、不動、蔵王等、仏像系の面が何面かあります。天地の眼をしたこの不動は、煩悩で道を誤った人を、憤怒の形相で救済する仏です。釈迦とは違い、本来の役柄として能に登場します。逆巻く髪の毛が大きな特徴です。
ニューヨークで作品展を行った時、「不動」の翻訳に困り、キャプションのタイトルを次のようにしておきました。
You should hear God's teaching
第10回
能面/翁(おきな) Okina
能面/翁(おきな) Okina
翁(白式尉)、父尉、黒色尉(三番叟)の切顎(きりあご)三面を並べました。
能が大成された室町時代より遥かに遡る奈良時代、神事として翁舞が春日大社や興福寺で演じられていました。猿楽の能が職業化される以前のことで、權守(ごんのかみ)という地元の有力者が、翁面を掛けて厳かに「天下泰平」「国家安泰」を祈念していました。
その当時、「咒師(すし)走りの翁」が12月にあり、「師走」の語源になったと考えられます。
能面/父尉(ちちのじょう) Chichinojyo
能面/父尉(ちちのじょう) Chichinojyo
父尉は「子孫繁栄」を祈願する神事に使われていたと考えられますが、それを伝える神社や寺は今はなく、どの様な形で行われていたのかは、全く不明です。よって、能面の一つとして翁の仲間に分類される父尉ですが、残念ながら能舞台にも上ることもありません。
しかし、父尉の表情は、釣り上った目尻、そこから延びる皺、しっかりとした鼻と頬が特徴で、何処となくまろやかで安堵感が漂っています。面打ちとしては、一度は制作したい面の一つです。
能面/黒色尉(こくしきじょう) Kokushikijyo
能面/黒色尉(こくしきじょう) Kokushikijyo
この黒色尉(三番叟)は三井記念美術館所蔵の春日作と伝えられている面を写しています。塗りは胡粉を使わず、全て漆で仕上げています。面裏も同様に漆を使っています。
様々な形の黒色尉がありますが、この面の面白いところは、大きく開いた口と、その上の口髭が鼻の穴から生えている点です。バカボンのパパに少し似た所があります。 なお、翁系に延命冠者(えんめいかじゃ)と言う「長寿」を祈願する面がもう一つあります。
第9回
能面/小牛尉(こうしじょう)Koushijyo
能面/小牛尉(こうしじょう)Koushijyo
能「高砂」は世阿弥作の名曲。脇能の代表的な祝言曲である。
麗らかな春、阿蘇の宮の神主友成が都へ上る途中に高砂の浦に立ち寄る。そこで、相生の松のいわれや、その目出たさを、老翁(小牛尉)と姥から聞かされる。高砂の松は姥で、住江の末は老翁である。離れているが二人は夫婦で、千年の翠を湛えるありがたい松の精霊だという。そして、住吉で待つと言い残し、二人は渚の舟で沖へ出て行った。
能面/姥(うば) Uba
能面/姥(うば) Uba
尉面の中でも、小牛尉(小尉)は品位が高く、神の化身や木の精霊として使用される。上品な顔立ちと落ち着いた眼差しは、朝倉尉や三光尉とは比べる由もない。
一方、ここに展示する「姥」は観世流・片山家にある姥を写し。少し個性的で、夫につき従う老婆ではなく、「姨捨」「関寺小町」等の「老女」役に向く面。額の皺や眉骨の形状は一般的であるが、厚い唇と引き締まった口元が異質で特徴的である。
能面/三日月(みかづき)Mikazuki
能面/三日月 (みかづき)Mikazuki
三日月は怪士系の面であるが、権高な表情は、神威を感じさせ、住吉明神として高砂の後ジテに登場する。瞳には金冠が嵌め込まれ、尋常な人間ではなく、高砂の老翁が神になった姿である。「高砂やこの浦舟に帆を上げて・・はや住吉の江に着きにけり」は祝言の時の定番。そして住吉明神が、友成に聖代長久、国家安泰の祝福を与える。最後の一節「相生の松風、颯々の声ぞ楽しむ」は、自然に向き合う日本人の崇高な感性が伺える。
第8回
能面/若女(わかおんな)Wakaonna
能面/若女(わかおんな)Wakaonna
朱の入った舞扇かざし、錦糸銀糸を織り込んだあでやかな衣装を身に纏い、若い女性が舞を舞う。この幽玄優美な世界は、能の中でも格別の品位が問われ、各流派の流儀がにじみ出る。
「小面」「若女」「節木増」「孫次郎」は流儀の面で、観世流では、若女がそれである。
知性的で、女性としてのしなやかさが漂う面で、本面は天下一河内(井関家第4代)が打った「悲しい若女」とされている。
能面/節木増(ふしきぞう)Fushikizou
能面/節木増(ふしきぞう)Fushikizou
節木増は、眉間の下の鼻の付け根に木の節があり、そこからヤニが出て、逆のNのような痣がある面。その痣がチャームポイントとなって宝生流の流儀の面(本面、増阿弥作)となっている。
玲瓏(レイロウ、玉の麗しく輝く様)とした品格があり、何処かに透明感を漂わせる面である。
節木増のもう一つの特徴は、水平に引かれた刷毛目である。その刷毛目の古色が、面としての立体感を強調すると共に、優美さを引き立てている。
能面/孫次郎(まごじろう)Magojirou
能面/孫次郎(まごじろう)Magojirou
金剛家の棟梁(大夫)が、自ら打った面が何面かある。その代表が金剛孫次郎作「オモカゲ」である。孫次郎が若くして亡くした奥様を偲んで、制作したもの。少し遠くを見ているような、何処となく艶麗な(なまめかしく美しい)表情に見入ってしまう。この「オモカゲ」を写したものが「孫次郎」と呼ばれる。世の面打ちは誰もが「孫次郎」を一つは打っている。よって世の中には何万もの「孫次郎」が存在するが、本面は孫次郎作「オモカゲ」が一つだけである。
第7回
能面/黒髭(くろひげ)Kurohige
能面/黒髭(くろひげ)Kurohige
黒髭は雨をもたらす龍神の面として使用され、演目としては「竹生島」や「春日竜神」など。
上口から頬へ延びる黒々とした口髭が特徴で黒髭と呼ばれる。この作品のように金泥を施したものは、泥黒髭と名付けられることもある。
「ひげ」と言う漢字には、「髭」「鬚」「髯」とあるが、主に「髭」は(くちひげ)に、「鬚」は(あごひげ)に、また「髯」と言う漢字は(ほおひげ)にあてられる。
能面/山姥(やまんば)Yamamba
能面/山姥(やまんば)Yamamba
都で、山姥の曲舞を舞って百萬山姥(ひゃくまやまんば)と呼ばれる遊女が従者を連れて善光寺参りをする。その途中で、本当の山姥に誘導されて、庵へ行き、山姥の曲舞を求められて、共に舞う。山姥は山廻りの様を示し、その苦しみからのがれ、名残を惜しんで山に消える。この山姥は輪廻の苦しみに同化した鬼女と言える。当作品は、梅若家にある赤鶴一透斎(鬼の名手)の作を写したもの。おぼろに雪を頂いた髪や星の輝きを思わせる眼などが特徴である。
能面/釣眼(つりまなこ)Tsurimanako
能面/釣眼(つりまなこ)Tsurimanako
釣眼は黒髭の亜流で、同じく龍神の面として使用される。
落ち窪んだ眼孔の中にギョリョリと光る眼と上下の歯をしっかりと見せて、大きく開いた唇が特徴の面。
竹生島は脇能。後場で弁財天が壮麗な天女の姿で、夜の舞楽を奏し、月が澄み輝く湖面に、龍神が湖中より現れ、金銀珠玉を延喜帝の臣下に捧げ、祝福の姿を表すという優雅な作りの曲である。
第6回
能面/平太(へいた) Heita
能面/平太(へいた) Heita
平太は源氏などの武者として使用される面。
能「八島」では、後シテの源義経の霊として登場する。赤ら顔で、勇ましい髭を蓄え、少し粗野で、いかにも坂東武者の風貌を呈している。平家の公達に用いられる中将の面とは対照的である。
弓流しのこと、悪七兵衛景清と三尾の屋の錏引きのこと、佐藤継信が能登守教経の矢先に斃れしことなど、八島の激戦の様を語り、夜明けて義経の霊は消えうせる。
能面/霊怪士(りょうのあやかし)Ryounoayakashi
能面/霊怪士(りょうのあやかし)Ryounoayakashi
平知盛は壇ノ浦の戦いで義経に挑むが、叶わず舟の碇を担いで水中に没する。その怨霊が、兄頼朝に追われて大物の浦から大分大野へ逃れようとした義経一行の船に嵐となって襲いかかる。
怪士は平氏の亡霊。中でもこの霊怪士は能「船弁慶」の専用面。眼には金冠、歯は金泥、尋常でない形相をしている。 弁慶の祈り除けで知盛の霊は消え、やがて嵐は治まる。
能面/景清(かげきよ)Kagekiyo
能面/景清(かげきよ)Kagekiyo
悪七兵衛景清は平家の有能な侍大将。
能「開眼供養」(奈良詣で)や「景清」でシテとなる。景清は壇ノ浦で平家が滅亡した後も生き延び、開眼供養に訪れた頼朝の暗殺を企てるが叶わず、眼球をくり抜き、盲目となって日向国に流される。能「景清」は父を案じて日向の国へ訪ねてきた娘人丸との邂逅。そして惜別。この面景清は、金剛型で、植えた髭がなく、勇猛な戦いの昔語りより、娘との別れに心を痛める老人の姿に重きを置いている。
第5回
狂言面/乙(おと) Oto
狂言面/乙(おと) Oto
「乙」は女性の狂言面の代表格。オデコが出て、目と丸い鼻と口が中央にへこんで集合し、その周りをふくよかなホッペタが取り囲む。ユーモラスな表情ですが、醜くはない。愛くるしさの中にどこか美形が漂っています。
狂言面/小猿 Kozaru
狂言面/小猿 Kozaru
狂言師の家元では、跡継ぎを幼年時にデビューさせます。その初めての役柄は猿回しに連れられた「小猿」です。おどけた目と悪戯っぽい口元が、小猿としての可愛らしさを表現しています。耳、鼻は日本猿をモデルにしています。
狂言面/祖父(おおじ) Ooji
狂言面/祖父(おおじ) Ooji
名古屋の徳川美術館所蔵の「祖父」を写しました。禿げた頭に、歯の抜けた口元。ふくよかな笑みは、好々爺然として、親しみを感じます。左目は、のら作業で痛めたものでしょうか?しかし、そんなことを苦にしていません。
第4回
能面/雪の小面 Yukinokoomote
能面/雪の小面 Yukinokoomote
能面/月の小面 Tsukikokoomote
能面/月の小面 Tsukikokoomote
能面/花の小面 Hananokoomote
能面/花の小面 Hananokoomote
豊臣秀吉は「猿楽の能」が大好きで、能面のコレクターでもありました。中でも、女面の上手と言われた石川龍右衛門の「雪月花の小面」を愛玩していたことは、有名な話です。
しかし、その3つの小面を秀吉は、金春家、徳川家康、金剛家に分け与えています。現存するのは三井家の花の小面と今の金剛家の雪の小面?です。
今回は、浅井三姉妹をイメージして、「雪月花の小面」を創作してみました。
「雪」は純真可憐な末娘「お江」
「月」はさわやかで理知的な「お初」
「花」は女性としての華やかな魅力を持つ「茶々」
第3回
能面/孫次郎(まごじろう) Magojirou
能面/孫次郎(まごじろう) Magojirou
金剛(右京久次)孫次郎が若くして亡くした奥さんの面影を偲んで打ったもの。本面は「ヲモカゲ」の銘があり、金剛流の流儀の面。写しは全て孫次郎と呼ばれ、艶麗な表情が特徴的。
能面/深井(ふかい) Fukai
能面/深井(ふかい) Fukai
曲見と並び深井は中年の女性の代表的な面。窪みかかけた眼孔や口元の下がり具合、或いはやや浅黒い肌が、女の年かさを感じさせる。中央から分けられた髪が、品の良さを表している。
能面/老女(ろうじょ) Roujyo
能面/老女(ろうじょ) Roujyo
小野小町の百歳の姿。頬はこけ、眼は落ち窪んだ老人だが、この面には皺がなく、何処となく品がある。絶世の美女で才女であった面影が、そこに窺うことができる。
第2回
能面/小癋見(こべしみ) Kobeshimi
能面/小癋見(こべしみ) Kobeshimi
釈迦 Shaka
釈迦 Shaka
能面/天神 Tenjin
能面/天神 Tenjin
あま茶でカッポレ!4月8日はお釈迦様の誕生日。能「大会(だいえ)」では釈迦が登場します。
貴船神社の庵室で読経をしている僧の元へ山伏(天狗)が現れ、命を助けてもらったお礼に、僧の望みを叶えるという。僧は、霊鷲山で釈迦が説法する姿を所望する。
合掌しない約束で、天狗が釈迦に化けて現れる。しかし有難い姿に思わず僧は手を合わせてしまう。すると天神の面を掛けた帝釈天が現れて、偽の天狗を懲らしめると言うのが「大会」のあらすじです。
釈迦のマスクは癋見(天狗)の上に掛けるため、能面では最大級です。
第1回
能面/中将「ゆきくれて」Cyujyo-Yukikurete
能面/中将「ゆきくれて」Cyujyo-Yukikurete
平忠度への思いで制作しました。
眉間の悩ましげなシワは、千載集に詠み人しらずで自分の歌が載っていることへの 未練 でしょうか?それとも負け修羅としての無念さでしょうか?
能面/翁(白式尉) Okina-Hakushikijyou
能面/翁(白式尉) Okina-Hakushikijyou
能「翁」は、能にあって能にあらず。
能の原点です。「翁」の面は、国家安泰、天下泰平を祈る神そのものです。
切顎が特徴です。ふくよかな老人の顔は、何処となく安心感があります。
能面/黒式尉(三番叟) Kokushikijyo-Sanbansou
能面/黒式尉(三番叟) Kokushikijyo-Sanbansou
五穀豊穣を祈念する黒式尉は、少し滑稽で、「翁」の厳かさとは対照的です。翁は地主で色が白く、黒式尉は小作で野良仕事のために色が黒くなったとも言われています。